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【Mable John】話している時でさえ歌っている!生粋のシンガー

 

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Mable John メイブル・ジョン

  

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Mable Johnは1930年ルイジアナ生まれ、10人兄弟の一番年上でした。Mableのお父さんは、ルイジアナではきこりでしたが、より良い条件の仕事を求めて、John家は1942年にデトロイトへ引っ越し、お父さんはダッジ社(1928年に買収されクライスラーの一部門となっていました)の組み立てラインで働く事になりました。

 

Mableより先に、弟のLittle Willie JohnがR&Bシンガーとしてショービジネスに入りました。デトロイトのパラダイス・シアターのアマチュア・ナイトからキャリアをスタートさせ、Kingレコートと契約し、1955年から1961年の間に17曲がビルボードのR&Bチャート入り(うち8曲がトップ10)、Peggy Leeのカバーでも有名なFeverを含む3曲がポップチャートにも入るなど、大成功しました。

 

Little Willie Johnがチャートを賑わわせていた頃、Mableは結婚し、4人の息子を育てながらゴスペルソングを書いていました。Berry Gordyのお母さんと知り合った事で転機が訪れ、Tamulaと契約し、60年にシングルを出しました。

 

「Motownは私のようなタイプの歌手には向いていなかった。私は、ポップスを唄うような歌手にはなれなかったし」

 

結局、Berry Gordyが認めて契約した一番最初の女性歌手でしたが成功せず、Al Bellと知り合った機会に、66年に今度はStaxと契約します。Issac HayesとDavid Porterの黄金コンビ作のYour Good Thing (Is About To End)を66年の春にリリースし、第6位にまで上がる大ヒット曲になりました。その後も素晴らしい曲を出しましたが、不可解な事に成功はしませんでした。

 

このCDは、事実上Mableの初めてのアルバムで、全26曲のお徳盤です。なぜかYour Good Thing (Is About To End)のヒット曲を始めシングル曲が半分くらいしか入っていません。1曲目はシャープで快活なMableの唄い方がカッコ良いタイトル曲です。こんな曲が未発表とは。それどころか、60年から68年の間で、シングルがTamulaで4枚、Staxで7枚だけ、アルバムはゼロでした。

 

面白いのは、Steve CropperとEddie Floydは、彼女を「sing talker」と呼んでいました。「私は、『話している時でさえ歌っている』って彼らは言ったの。それこそ、私の声か語りについて、彼らが気に入ってくれた”何か”を現しているわね」

 

最後の曲I Need Your Love So Badは、兄弟のMertisがLittle Willie Johnの為に50年代半ばに書いた曲です。68年にWillieが死んだ時、彼の思い出の為に何かしたい、彼の名前は死なないように、と思って、Mableが再レコーディングしたそうです。

 

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