· 

子の氷川神社 - 地元のスピリチュアルプレイス(7)

 

またまた、氷川神社を紹介します

 

GWに撮った写真が、未整理のまま

 

ステイホームのGW中に、地元の神社・仏閣を回りました。

 

撮った写真を雑にフォルダーに保管していたら、どこの神社の写真だったか良く分からなくなってしまいました。少しずつ思い出しながら整理していく予定です。

 

前回に引き続き、氷川神社を紹介します。新座市と思っていたら、朝霞でした。

 

川越街道のオートバックスの近く。湧水が特徴

子の氷川神社は、川越街道にあるオートバックスを曲がってすぐの所です。本殿まで斜面になっている立体的な土地だからか、境内は面積以上に広く感じます。

 

ここも本当に静かでした。

  

 

特徴は手水舎です。天然の湧水でした。 

 

関連記事:手水舎 | 神社の建物紹介その2 - 地元のスピリチュアルプレイス(4)

隣の滝です

 

拝殿です。

 

 

 

「氷川神社 御由緒」を紹介

『風土記稿』によれば、膝折の地名は小栗小次郎助重が賊に追われて馬で当地まで逃れて来たところ、鬼鹿毛おにかげというその馬が膝を折って死んだことに由来する。また昔高麗こまの城の落人おちうど五人が原野であった当地を開墾したという。一方『埼玉県地名誌』では「鳥取県三朝みさき町の中津地方で二月初午はつうまをスオネリといって、この日は山の神の木数え日で山に入ればすねを折る」との伝説に基づき、地名の由来を推測している。

 

当地は既に室町期から宿駅として栄え、『廻国雑記』を記した聖護院道興は文明十八年(一四八六)に膝折の里に入り、ここで休憩した際に、この地にいちが立てられて商人が集まっていたと記している。武蔵野台地の水の乏しい中、ここは低地にあり水に恵まれたことが、早くから宿場を形成する要因となったものであろう。

 

当社はこの膝折の里の南方の「の神」とよばれる山上に鎮まる。創建についての伝承は語られていないが、古くから山の神として祀られていた子の神がす山上に、中世、一の宮として名高い氷川神社が村の鎮守として勧請されたことが推測される。

 

別当は真言宗持明院で、当社の北方八00メートルほどの所(膝折一丁目・塩野製作所の辺り)がその跡地で、明治八年に廃寺となった。

 

『明細帳』によると、明治四十三年に字宿の愛宕社・字上ノ原の稲荷社・字下ノ原の稲荷社の無格社三社を村社である当社に合祀した。

 

 

確かに、愛宕神社があります。

 

 

 

地名の由来などがご由緒に書かれているのを、読むのも楽しい

 

溝沼氷川神社に続き、今日は、朝霞にある2つめの氷川神社を紹介しました。

 

車通りが激しい川越街道が近くにあるとは信じられないほど静かで、厳かな気分になります。また、神社であれば、その地名の由来なども御由緒に書かれていたりして、なかなか勉強になります。

 

ぜひ普段は気にした事も無い、地元の神社を訪れてみてください。

 

これもおススメ!

関連記事:野火止氷川神社 - 地元のスピリチュアルプレイス(5)

関連記事:溝沼氷川神社 - 地元のスピリチュアルプレイス(3)

 

【ABOUT ME】

埼玉県在住、複業サラリーマン

 

みんなの毎日をウェルビーイングにする目標に向かって活動中。詳しくはこちら

ツィーターでフォローをお願いします!

電子書籍を読んでください!

脱・専業サラリーマン: 消えゆく日本型サラリーマンに今こそ決別!シリコンバレーの先端思想と昔ながらのナリワイの知恵を結ぶワークスタイル変革 

三木章義 (著)

 

 これから複業サラリーマンを目指そうとする方、興味がある方に向けて、起業の体験本を書きました。平凡なサラリーマンがふと起業したくなり、仲間を集って会社を作るまでの物語です。