· 

馬場氷川神社 - 地元のスピリチュアルプレイス(8)

 

さらにさらに、氷川神社を紹介します

 

黒目川を登る順番で、氷川神社を紹介してきました

 

ゴールデンウィークに撮り、散らかったままの写真を思い出しながら整理しながら、結果的には、東上線から黒目川を登っていく順番で氷川神社を3回分紹介してきました。

 

氷川神社の紹介はまだまだ続きます。今回は、新座市の氷川神社を紹介します。

 

馬場氷川神社は、長い参道が特徴

馬場氷川神社は、長い参道が特徴です。関越自動車道がすぐ近くを通っており、さらに商業施設(ゴルフ練習場)の隣接が、スピリチュアル的気持ちを少し削がれる感じがして、残念です。

 

でも、境内は静かでした。

  

 

特徴の長い参道です。鳥居が見えます 

 

関連記事:鳥居 | 神社の建物紹介その1 - 地元のスピリチュアルプレイス(2)

 

御神木です

 

この老樹の中でも本殿脇にまつられている樹齢七00年と推定される御神木ごしんぼくの老杉は、現在は切株だけ残されていますが、かつてはどの場所からも望むことができる巨木きょぼくでした

 

掲示されていた説明文より引用

 

 

拝殿です

 

 

 

面白いのは、不発弾が祀ってありました。

「氷川神社 御由緒」を紹介

当社は、さいたま市大宮区高鼻町に鎮座する武蔵一宮氷川神社からの分室である。江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には「氷川社 村の西の臺野火留の境にあり、大門の間一町半ばかり、その内半町程奥に鳥居を立つ、本社は一間に九尺の宮作にて、上屋は二間に三間半、此やしろ鎮座の年代は詳ならざれども古き勧請なりと云、大門の両脇をはじめ社の三面に、松杉の老樹櫛比して寂々たり、此村及び原ヶ谷戸・上片山・堀之内五村の惣鎮守な櫛り、古へ村内蓮光寺當社大門の側にありし時持なりしが、今の池にうつされ別當を圓光院にゆづり、今はかの院の持となり、」とある。当地は、中世の片山郷の中心であったといわれ、当社西方の堀ノ内一丁目付近は鎌倉御家人で片山郷の開発領主とされる片山氏が居住した地であると伝えられる。

 

当社の創立も中世に遡ると考えられる。本殿は、一間社流造りで、元治元年(一八六四)に社殿が再建されています。江戸時代までは、当社北東に隣接していた蓮光寺が別当を務めていたが、同寺が移転した為に原ヶ谷戸円光院と書かれた木札には「別当円光院住」とある。この他、天保四年(一八三三)三月の鳥居再建の棟札が残されている。

 

明治四十年五月二十日、字駒形の村主駒形神社同境内社稲荷社・同年六月十四日、字堀ノ内の無格社八雲神社、字道場の無格社稲荷神社、字堀ノ内の無格社白山神社、同稲荷神社を合祀した。

 

休日は人込みを避け、地元の神社巡りでも

 

これで、溝沼氷川神社、野火止氷川神社、子の氷川神社、今回の馬場氷川神社と、地元に鎮座する4つの氷川神社を紹介しました。

 

自粛解除で経済活動が再開となったら、またコロナの感染者が増えてきました。休日などはできるだけ人込みを避け、地元の神社を訪れてみてはいかがでしょうか。

 

これもおススメ!

関連記事:子の氷川神社 - 地元のスピリチュアルプレイス(7)

関連記事:野火止氷川神社 - 地元のスピリチュアルプレイス(5)

関連記事:溝沼氷川神社 - 地元のスピリチュアルプレイス(3)

 

【ABOUT ME】

埼玉県在住、複業サラリーマン

 

みんなの毎日をウェルビーイングにする目標に向かって活動中。詳しくはこちら

ツィーターでフォローをお願いします!

電子書籍を読んでください!

脱・専業サラリーマン: 消えゆく日本型サラリーマンに今こそ決別!シリコンバレーの先端思想と昔ながらのナリワイの知恵を結ぶワークスタイル変革 

三木章義 (著)

 

 これから複業サラリーマンを目指そうとする方、興味がある方に向けて、起業の体験本を書きました。平凡なサラリーマンがふと起業したくなり、仲間を集って会社を作るまでの物語です。